<悠久の小説と悠久舞台の小説>

 最近、某氏によって投げかけられた疑問の、焦点の一つであろう事柄です。


 まず、『悠久舞台の小説』とは何か。
 私の定義は、「悠久幻想曲の、ゲーム上で語られなかった(もしくは顔を出しもしなかった)事柄」だと思うのです。
 つまり、そこには各個人のオリジナルキャラクターが入り込む隙間があるお話、という言い方も出来るでしょう。
 これを考えてみると、私が書いた文章のほぼ全てが『悠久舞台の小説』となるであろう事は私も自覚しています。
 勇者更紗や、組曲2・3、他にも多数ですね。


 次に、『悠久の小説』という物はどういったものになるのでしょうか。
 第一に例として挙げられるのが、たきもとまさし氏が書かれている、メディアワークス発行の公式小説ではないでしょうか。
 もちろん、悠久3や組曲を書かれている紺野たくみ氏の小説もこれです。
 これらは、全てメディアワークス公認の小説な訳ですね。
 つまり、悠久の製作スタッフやその会社が認めた文章との解釈も取れますね。


 それでは、公式ページに投稿することを許可される作品はどういったものでしょうか。
 悠久幻想曲SS小説のコーナーの出だしによると、

ファンの皆さんの創った、ショート・ショート小説のコーナーです。

 …えっと、もうちょっと具体的な書き方をお願いしたかったのですが…どうしよう……
 とにかく、私はこれを初めて見たときこう解釈しました。

悠久舞台のSSでも、悠久らしさがあればOKなんとちゃう?

 と。
 この解釈は激しく間違っているかもしれません。悠久らしさなんて、十人十色。これが悠久らしい文章だ!なんて表示できるわけありません。
 一つの意見のように、既存のキャラクターが主軸でオリジナルキャラクターは登場してはいけない、といった方向は私は反対したい一つですし。
 また、過去の因縁を持ち込みすぎる事も、私は悠久らしくないと思います。
 ただ、私なりの『悠久らしい感覚』という事に関しては明確に提示できる事柄があります。
 それは、

時には戦闘などでシリアスが続くが、基本的にはホノボノしたやわらかい世界

 です。ファンタジー系のゲームだからといって魔法に頼ることなく、われわれの日常生活に近くしようとの試みが随所に見られるからです。
 なればこそ、私の勇者更紗やエンフィールドの記憶といった、ゲームの悠久幻想曲では到底考えられないものでも『悠久の小説』だと言って間違いではないと思うのです。


 つまり、公式ページにもオリジナルキャラクターの出てくるお話を送ることは私は問題ないと思うのです。その度が過ぎる場合は別ですが。
 まあ、こんなことを書いている時点で、組曲3の最終話のプロットに入っています。
 はっきり宣言しておきますが、ここで言う悠久らしさは殆どありません。
 それでも、私の一つの物語の集結として選択したお話が、こうなった理由はきちんとあると思えますので。



 最後に、このホームページに投稿してくださる皆様の文章は、オリジナルとみなしています。
 つまり、『悠久らしさ』とか『オリキャラが目立ちすぎ』とか、時には煩わしいと取られる事さえある制限は一切ありませんので。
 皆様からの、これまで同様、あるいはそれ以上の熱い物語をお待ちしております。

 これを書き終えて考えたのですが、私の作品で一番悠久らしい作品だと思われている事柄は一体どの作品なのでしょうか。
 完全オリジナルとなる2作品は排除して、一体どの作品が皆さんの悠久らしさの基準に近いのか。それを知りたくなりました。
 ここを読まれた貴方。出来ることなら私ことデジデジにメールをお願いします。
 『そんなの知るか』、『どれも悠久らしくない』。そんな意見でも構いません。出来れば、『○○が近いかな?』というご意見を一番望んではおりますが。
 どうか、お願いします。

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