──1990年 神戸──
公園の砂場に、二人の子供がいる。
どちらも幼稚園ほどの年頃であろうか、男の子と女の子である。
男の子の方が、女の子に尋ねた。
「ねえ、セッちゃん。結婚記念日って何?」
「結婚記念日?うーんと…」
女の子は少し迷った後、名案を思いついたかのように手を叩いた。
「うん。好きなひとどうしが結婚して、その結婚した日を、二人が忘れないようにたしかめる日、だよ」
「ふーん」
暫く砂をいじる音だけが聞こえていたが、またも男の子が顔を上げて言った。
「ねえ、セッちゃん。ボク達も結婚しよっか?」
「まだ無理だよ。結婚は、オトナにならないと出来ないんだよ」
「そうなの?」
当然の如く返した女の子に、男の子は心底驚いた表情を見せた。
それがおかしかったのか、女の子は笑顔でこう言った。
「それじゃあ、約束しよ。タっちゃんとセツがオトナになったら、結婚しよう、って」
「…うん!約束だよ!」
幼い頃の、他愛も無い約束。それでも、彼らの間では神聖な誓いその物であった。
しかし、時の流れは彼らをあざ笑う。
「セツの家、引越しするんだって」
「そう…なの?どこまで?」
「えっと…カナガワ、って所まで」
「カナガワ…」
それは、男の子にとっては聞きなれない場所だった。それ故に、遠さがこみ上げてくる。
当時、北原刹那(きたはらせつな)6才・森宮竜弥(もりみやたつや)5才。
彼らが砂場で約束を交して、わずか数日後の出来事であった。
<Fixional Illusion>
──2000年3月 神奈川──
「刹那、少し話があるんだが…」
父さんがそう切り出したのは、食事が終ってすぐの事だった。
「なに?父さん」
食器を流し台に運ぶ途中で軽く聞いた問いには、中々答えが帰ってこなかった。
「…父さん?」
わたしが再度聞くと、しかめっ面をした父さんがやっと口を開いた。
母さんは父さんの隣りに座って、難しそうな顔をしてる。
「実はな、仕事の都合でまた転校しなければならなくなったんだ」
「…そうなの?行き先は?」
父さんはサラリーマンだし、転勤の事例が下りれば従わなければならないことは分かってた。だから軽く聞いたんだけど…
「刹那が小さい頃暮らしていた町があるだろう?あそこに、新しい支店が出来るんだ。そこに移動する事になってな」
「小さい頃…もしかして、」
わたしが1度母さんに顔を向けると、母さんは小さく頷いた。
「そう。神戸」
「あ、そ、そうなんだ。…ふぅん。良いじゃん、知らない所に行くよりもソッチの方が安心できない?」
平静と返したはずだったけど、内心では凄く驚いていた。
神戸…タっちゃんの町…か。
──2000年4月 神戸──
「なあ、タツ」
「あ?何だよ」
俺は後ろから話し掛けてきた級友兼腐れ縁『竹下雄介(たけしたゆうすけ)』に、軽く振りかえって声を上げた。
「知ってるか?タツ。明後日クラスに転校生が来るらしいぜ」
「転校生…相変わらず、情報早いな雄介は」
少し呆れた俺に、それ以上に呆れた顔で雄介が返してきた。
「オメーが疎いだけだよ。みんな知ってんぜ?」
「あ、そ…」
俺は半分聞き流して、席を立った。
「あ、タツ。もう帰るの?」
「ん?まーな」
席を立った俺に、1人の女子学生が声をかけてきた。
『相澤香奈(あいざわかな)』。家が近くって事もあって、時々一緒に帰っている。
「カナも、もう帰るのか?」
「ん。今は部活も無いしね」
カナは軽く笑って、左手に持った大き目の革鞄を見せた。
「そっか。出展用の油絵、もう書き終わったって言ってたもんな。…一緒に帰るか?」
「うん!」
俺とカナが一緒に教室を出ようとすると、雄介が一足先に教室の外に走っていった。
「お二人とも、お幸せに〜」などとほざきつつ。
ったく!
「あ、タツ。ちょっと待ってて。忘れ物しちゃった」
「おう。校門で待ってる」
教室に走って帰るカナを見送って、俺は校門に背を預けた。
「懐かしいな〜、この通り」
わたしは周囲を見渡しながら、ゆっくりと歩いていた。
あの日の幼稚園、商店街、駄菓子屋さん…そして。
「…明後日から通う、高校か」
小さい頃は、見上げても上が見えなかった壁。今見れば、少し背伸びすれば壁の上に手が届く。
そんな事を考えながら角を曲がって。
「──ぁ」
わたしの動きが止まった。校門の所、身体をこっちに向けて校舎の方を気にしている男の子。
間違うはずが無い。あれは…
「タっちゃん!」
わたしの声が届いたのか、タっちゃんがこっちを向いた。その表情が、一瞬にして固まる。
まるで幽霊を見たかのような表情の後、小さく呟くのが聞こえた。
「まさか、刹那か?」
「そうだよ!タっちゃん、久しぶりー!」
わたしは駆け寄って、思いっきりタっちゃんに抱きついた。
「お、おい!あぶねーだろうが!」
言葉とは裏腹に、簡単に受けとめてくれたタっちゃん。
わたしは一度離れ、彼の顔を見上げた。
「大きくなったね〜、タっちゃん」
「まあな。これでももう15だぜ?」
「そだよね。…10年ぶりだもんね」
わたしとタっちゃんは笑顔を見せ、暫し黙り込んだ。
「あの、さ」「…あのね」
そして、わたし達が同時に喋ろうとした言葉を遮って。
「タツー、ゴメンね遅くなっちゃって。美術部の先輩に掴まっちゃって」
校舎から、綺麗な人が走り出てきてタっちゃんの横で止まった。
「お、おう。いや、まあそんなに待ってねーし、いつもの事だろ?」
少し慌てたように言ったタっちゃんとわたしを、その人は面白そうに目を細めて眺めている。
「おや〜?もしかしてナンパしてた?」
「誰が。…こいつは、俺の幼馴染み…かな。北原刹那って言うんだ」
タっちゃんが、わたしの頭に手を置いて紹介した。
その人は良く動く大きめの瞳で私を見て、綺麗に微笑んだ。
「へぇ。タツの幼馴染みか…。あ、私は相澤香奈。タツのクラスメートよ。よろしくね、刹那さん」
「あ、はい。こちらこそ…よろしく、お願いします」
笑顔に気圧される感覚を覚えながら挨拶を交して、私は腕時計を見た。
「あっ、もうこんな時間?わたし、ちょっと用事があるんだ」
「なんだ。もう行くのか」
「うん、まあね。…それじゃ!」
わたしは極力笑顔を維持させて、軽く右手を上げた。
「ああ、またな」
久しぶりに見る、タっちゃんの笑顔。記憶の中の彼より、かっこいい顔…
「またね、刹那さん」
…そして、わたしの知らない空間。
「うん。またね、香奈さん」
わたしは懸命に笑顔のまま、家に向かって走り出した。
「うん。またね、香奈さん」
そう言って走り出す刹那を見送っていると、カナが俺の腕に抱きついて来た。
「…何してんだよ、カナ」
「ん?んー……何となく、かな」
悪戯をしている子供のような笑顔。カナが、よく俺をおちょくる時に出す笑顔だ。
「何がしたいんだ?…とにかく、分かったから離れろってーの!」
俺が軽く腕を振るう前に、カナから離れて歩き出した。
「さ、早く帰らないとおばちゃんに迷惑だよ?」
「はいはい…ったく」
まだ笑顔のままのカナに付いて歩きながら、俺は刹那のことを考えていた。
(刹那、か…。久しぶりだな。だけどどうしてここに居たんだ?)
わたしは、小さな公園のベンチに座っていた。
(タっちゃんの…彼女、だよ……ね?)
相澤香奈…さん。綺麗な顔をした物静かそうな人だったし…タっちゃんも香奈さんの事良く知ってるみたいだし…。
「はぁ…。わたし、どうしたら良いんだろ?」
「あれ?もしかして…セッちゃん?」
「え?」
溜め息と同時にかけられた声に、わたしは顔を上げた。
そこに居たのは…
「やっぱり。セッちゃん──刹那さんだろ。オレのこと、覚えてる?」
どこかで見た事のあるイメージの男の子。年は、わたしと同じくらいかな?……あっ!
「あーっ!も、もしかしてゆーくん?」
「そ。タツのケンカ仲間の竹下雄介。久しぶり、セッちゃん」
立ちあがって指差したわたしに、ゆーくんは笑顔で返してくれた。
「うん、久しぶりだよねー。…そっか、ゆーくんもここを離れてなかったんだ?」
「まーね。俺ぁこの町が好きだからな」
わたしに頷くと、ゆーくんは優しく聞いてきた。
「で、セッちゃんはどうしてこんなトコに?タツにはもう会ってきたのか?」
「うん。さっき、高校の前を通ったから」
タっちゃんと香奈さんの事を思い出してテンションが下がったことを察したのか、ゆーくんが真面目な表情で聞いてきた。
「…何か、悲しい事でもあったの?」
「あ、ううん…何でも無い。大丈夫だよ」
ゆーくんに笑顔を返して、わたしはまだ伝えてなかった事を思い出した。
「あ、そうだ。わたし、またこの町に戻ってきたんだ。これからよろしくね」
「おーっ。それマジ?セッちゃん、またコッチで暮らすんだ!」
ゆーくんは、心底嬉しそうな笑顔でそう言ってから、わたしに手を差し出してきた。
「お帰り、セッちゃん」
「うん。ただいま、ゆーくん」
刹那と再会してから、2日目の朝。
俺は教室の椅子に座って考え込んでいた。
あの時から、まだ刹那に会っていない。あの時はいきなりすぎて頭が真っ白になってたし、言いたい事もいっぱいあるんだけど…。
「おーっす、タツ」
「…よお」
元気に声をかけてきた雄介に軽く挨拶を返して、考え事に戻ろうとした。が、
「おいおいどーした?朝からテンション低いぞ、タツ」
わざとらしく溜め息をつきながら、雄介が俺の前に戻ってきた。
「…別にいいじゃねえか。俺が何をしてようと関係無いだろ?」
「うーわかわいくねー。そんなだとセッちゃんに怒られるぜ?」
「刹那?…なんで刹那が出て来るんだよ」
俺が怪訝そうな顔で聞くと、雄介は驚いた表情で動きを止めた。
「あれ?…あ、そうか……いや、しかし…」
かと思えば、一人ブツブツと何かを唱え出している。一体なんなんだよ?
「おい雄す──」
ガラガラ
「よーし、みんな席に付け。ホームルーム始めるぞー」
俺が言葉を発する前に担任の鏑木(読めるか?)が入ってきて、雄介は『それじゃ、また後でな』と言って俺の右後ろの席に戻っていった。
ふと教室を見まわすと、俺の方を向いているカナと目が合った。
挨拶をするように小さく手を振るカナに、俺は苦笑で返しておく。
「…と。今日のメインイベントだ。男子ども、喜べ!転校生が来たぞ〜!」
むやみやたらとテンションの高い鏑木が、男子どもをあおっている。
それに多くの男どもは完全に乗ってるし、女子も苦笑を浮かべて成り行きを見守っている。
…ま、鏑木の行動には皆慣れてるからな。
「さあ、転校生くん。入りたまえ!」
教室の前の扉に向かって鏑木が大きく手を振り、少し遅れて扉が開いた。
「失礼します」
律儀に挨拶してから入ってきたのは、セミロングの髪の……って!
ガタンッ
「んー?どうした森宮。一目ぼれかぁ〜?」
いきなり立ちあがった俺に、周囲の視線が集中する。やばい…やっちまったか。
「…何でもありません。続けてくれ」
俺はわざとぶっきらぼうに言って、椅子に座り直した。
カナの方をチラリと見ると、そっちも驚きで目を見開いていた。
雄介は…こいつ、平然としてやがる。
『おい雄介!お前知ってたんだろ!』
『へっ!相変わらず情報に疎いなぁ、タツくん?』
視線で文句を言うと、雄介も視線で返してきた。
…こいつには、かなわないかもな。
「さあ、転校生くん。入りたまえ!」
むやみにテンションが高い先生の声に少し引きながらも、わたしは扉を空けた。
「失礼します」
そう言って少し進んだ所で。
ガタンッ
タっちゃんが驚いて立ちあがっていた。そして、周囲から注目されながらも渋った表情で席に座った。
狙ってしたわけじゃなかったんだけど、面白い反応。
そう思っていると、タっちゃんが誰かをちらりと見た。その先には………
「ん?どうした北原。ほれ、挨拶挨拶」
「あ、はい」
わたしの止まっていた時間は、先生の一言で動き出した。
わたしは教壇に立って、元気良く挨拶をする。
「初めまして。北原刹那です。
えっと、初めましてって言っても小さい頃はこの辺りに住んでいたもんで、わたしとしては『ただいま』って感覚なんですけど」
「お帰り〜、セッちゃん」
わたしの声に、ゆーくんが返してくれる。
「えへへ。これからよろしくお願いします!」
一礼すると、教室中から拍手や『よろしくね〜』という声が返ってきた。
「よし、そこまで!さあ、1時間目の授業を始めるぞ。北原は左後ろの席に座ってくれ」
「はい」
で、刹那が帰って来てから始めての休み時間。
「なんでこの前会った時に言わなかったんだよ?」
「ゴメンね。あの時は急いでて。用事が終った後にゆーくんに会ったから、ゆーくんには言っておいたんだけどね」
「ほほー。そうすると、やっぱりオレの方が先に知ってたわけだな?」
俺の問いに刹那は申し訳無さそうに返し、雄介は自慢げに頷いている。
「でも、これで刹那さんともっと仲良くなれるよね。私は嬉しいな」
「うん。わたしもそう思う」
カナと刹那は笑みを交してそう言っている。
「そうだな。…ま、何はともあれ。お帰り、刹那」
「うん。ただいま、タっちゃん」
彼らの道は、こうして長い交差点を迎える
そして、その先にはどのような結末が待っているのか…
──続く──
★作者注★
すみません。長くなったので前後編でございます。
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